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奈良地方裁判所 昭和40年(ワ)207号 判決

原告 米田正一

右訴訟代理人弁護士 辻中栄太郎

被告 平井愛子

主文

被告は原告に対し金九三、五〇〇円及びこれに対する昭和四〇年一二月四日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その一を原告のその二を被告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り金三万円の担保を供するとき仮に執行することができる。

事実

〈全部省略〉

理由

第一、賃貸人の債務不履行に基く損害賠償請求について

(一)  請求原因一、(一)のうち、被告が原告に対し、本件建物を期間五年、賃料月三五〇〇円の約で貸与したことは当事者間に争いなく、右賃貸借の契約の日時は、成立に争いのない乙第一号証及び証人平井克の証言原告本人尋問の結果によれば昭和三四年八月一日と認められる。尚他に本件建物に関し当事者双方が別個の契約につき主張しているものと認められないから、右当事者間に争のない原告主張の賃貸借契約と右認定日時の契約とは同一性を害されることはない。尚原告が本件建物を備り受け改造の上珠算教授業を営んで来たことは当事者間に争がない。

(二)  請求原因(二)につき争いがあるが、証人平井の証言及び原告本人の尋問結果によれば、「賃貸期間の満了期である昭和三九年八月頃に、被告より原告に対し明渡し、若くは期間一年とし、敷金を新たに入れ、賃料を一万円に増額されたい旨の申出があったが、原告は賃料増額については月七五〇〇円の限度で了承し、被告もこれに応じたが新期限の点で話がつかず結局右被告の申出については合意ならずそのままの状態で原告は期間満了後も契約更新ありたるものとして又従前の賃料受領拒否明らかと考え、一方的に供託をつづけて来たところ、昭和四〇年六月二四、五日頃の珠算教室始業時間である午後五時より二〇分程前に、突如、被告より電話で原告に対し、「今日はもう表を閉めるから出入りをしないでくれ」との通告があり教室への通路に当る処に新設された戸が閉鎖され被告の次男克が「車庫につき出店、駐車禁止」の木札をはり、原告の開門要求に応ぜず、その直後原告の申出による人権擁護委員会の意見聴取手続においても被告は開門ひいては原告の本件建物使用を拒否しつづけた」ことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

そして前掲証拠により被告は前認定の次男の行為を認容したものと推認すべきであり被告の抗弁を認めるに足る証拠もないから特段の主張立証のない本件においては被告の前認定電話による通告以後の処為は賃貸人の負担する賃貸借契約上の義務である賃借人に賃借物を使用収益せしめる義務の履行不能を構成するものといわざるをえない。

(三)  そこで前(二)項履行不能により被告の責に帰すべき原告の損害(請求原因一、(三))のうち先づ逸失利益につき考える。

原告が本件使用拒否当時授業料一人当り月七〇〇円で本件建物において珠算教室を開いて来たことは当事者間に争いなく、原告本人の尋問結果によるも「右の間、生徒数は四、五、六、九、一〇の各月が比較的多くその他の月は減少する傾向にあるが少くとも八〇名を下らなかったところ、被告の本件使用拒否以後七、八月は原告は、使用再開交渉のため日時をとられ事実上教室は閉鎖状態となったが、結局被告の決意強固のためやむなく、本件建物の賃借権をあきらめざるをえなくなり、九月から本件建物と同じ椿井町所在訴外「象屋」こと吉田の建物三三、〇五平方米(一〇坪)を月九〇〇〇円で借り受け珠算教室を再開したが当初は約四〇乃至四五名位しか生徒が集らず、その後更に南城戸町に移転し昭和四二年一月現在において生徒数は約六〇名に増加して来ている」ことが認められるに止まり、原告本人の供述中生徒数が多いときは月約一二〇乃至一三〇名に及んだ旨の部分は俄かに措信しがたく、他にこれを認めるに足る証拠はない。

次に原告は被告の前示の如き突然の使用拒否のため、やむなく賃借権をあきらめたのであるが、かかる場合、(イ)現有生徒が夜間に登校継続することができる適当な移転先をさがす余裕がなかったことが明らかで、このために、(ロ)その原因を問わず数室移転があると、それ自体により生徒の感興、通室事情、等に変化を生来しために通常生徒数が減少することが予想される処、原告は本件使用拒否によりかかる減少を伴う移転を不法に早期に強いられたこととなり、このために、結局右両原因による生徒数の減少を蒙ったことが以上の(二)(三)認定事実と経験則上推認するに難くないところである。

ところで本件では、前認定の如く移転先で教室再開時の生徒数は四〇乃至四五名位でその後移転先での営業状態としては一応落着いたとみるべき昭和四二年一月現在の生徒数が約六〇名になっているのであるが、原告は途中任意の移転をしているから、これに伴う生徒数減少も加わっているとみるべきだから、原告主張の最初の六ケ月以後現在までの全期間につき生徒数の増加度の小さいことまで被告の本件使用拒否に帰せしめることは疑問であり、又前認定事実以上に当初の四〇乃至四五名より六〇名に増加した生徒数の推移につきこれを認めるに足る証拠がないから最大限最初の月のみは四五名その後の月は六〇名をこえないものと認める外なく、結局被告の使用拒否と相当因果関係ある生徒減少は少くとも原告の問題とする当初の六ケ月に関する限り使用拒否以前の最小限の八〇名と対比して当初の月は三五名その余は二〇名と認めうるに過ぎない。そして前示のとおり使用拒否当時の授業料は一人当七〇〇円であったのであるから原告は、右減少のため合計金九四、五〇〇円のうべかりし授業料収入を失ったというべきであり、この間原告はその主張よりして月額金三五〇〇円六ケ月合計二一、〇〇〇円の賃料支出を免れたから結局原告は、被告の使用拒否のためその主張の六ケ月において差引合計金七三、五〇〇円のうべかりし利益を失ったというべきである。

(尚昭和四〇年七、八月の全面休業の損失の請求はない)よって原告の逸失利益を求める請求は右限度で理由がある。

(四)  慰藉料について。

本件履行不能の態様が極めて一方的実力行使によるものそしてその後の交渉も相当非妥協的なものであったことは前(三)項判示のとおりで、賃借人の人格を著るしく軽視したやり方であることはたしかであるから右態様自体よりして原告が屈辱感を受けたことは容易に推認しえ、又右一方的な被害を受けたこと自体により賃借人たるしかも珠算教師としての原告の周囲に反響を生じたことは推認しうるところであるが更にこれ以上の珠算教師としての信用を害しその他右屈辱感以外の別種の精神的苦痛その他の無形の損害を蒙った点についてはこれを認めるに足る証拠はない。

尚原告の尋問結果により原告は教授自体を次男の育弘にやらせていたことでもあり本件建物における教授自体に特に執着を覚えていたとも認められないから、休業、続いて生じた相当期間の生徒数減少に基く苦痛としては特段の事情のない限り財産的損害賠償により填補できるというべく、填補しえない程強いものと認めるに足る証拠もない。

そして前記屈辱感の苦痛の慰藉料額につき考えるに、被告は偏見を持ちやすい寡婦で又同じく法律知識に乏しく分別不足の学生である二男克と共に社会生活に対処し来たったことが証人平井克の証言及び弁論の全趣旨より推認しうる一方、反面原告本人の尋問結果より、原告側でも本件拒否以前約一年前に一応七五〇〇円の賃料増額請求を了解し乍ら、尚従前の賃料を一方的に供託したことが認められ、その社会的地位よりして今少し建設的態度を期待しえたといえる点を以上(二)(三)認定の諸事実に総合して考えれば金二〇、〇〇〇円を相当と認める。よって本件慰藉料請求は右限度で理由がある。

第二、請求原因二の有益費償還請求について。

民法六〇八条は賃借人の有する有益費償還請求権につき同法第一九六条により賃貸人に支出費用額と増価額につき選択権を興え(これに反する大審院明治三五年二月二二日判民録八輯二巻九三頁の見解は採らない)これを選択債権としているところ、右選択債権は他の契約又は法律に基くものと異り債務者である相手方において選択の催告をなすに当りその各給付を特定するだけで足らず(給付特定ならば賃借物と賃借人で特定しうる)支出費用額及び増加額双方につきその発生原因を具体的に主張立証するを要すると解すべきである。蓋しそうでないと賃貸人においてせっかく法が与えた選択権行使のための利害判断を十分になしえないからである。従って厳格には選択の催告主張には右立証をなした点の主張を要すると解すべきところ、本訴ではかかる点の主張なく、のみならず増価額の主張自体において、少くとも改良時の価格、耐用年数、同年数経過後の残存価格の三点については認定事実に特種なしかも高度な経験則による判断を加えて始めてなしうる判断結果であるから擬制自白の対象とならないというべく又他面費用償還請求権自体の存在を被告が明らかに争っているのであるからこの選択給付のいずれも争うものと解すべきでもあるから従って増加額も又擬制自白の対象となりえないと解するを相当とする。

そうだとすると先ず右増加額の事前立証の主張がないから叙上の処よりして原告主張の選択権行使催告として無効であるというべく、未だ原告に選択権の移行なく、のみならずこの点をさておくも結局において増加額の立証なきに帰するからその余の点につき判断するまでもなく、増加額を選択して求める本件費用償還請求は理由がないというべきである。

第三、結論

以上の次第で本訴請求は第二項判示の逸失利益金七三、五〇〇円及び慰藉料金二〇、〇〇〇円合計金九一、五〇〇円及びこれにつき被告が遅滞に陥ったこと明らかな本訴状送達の翌日である昭和四〇年一二月四日以降完済まで民法所定年五分の割合による損害金を求める限度で理由があるというべくこの限度で認容しその余はすべて理由がないから棄却する〈以下省略〉。

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